Stop the bleeding.

日々の諸々を赤裸々に時々長々と綴る。

育てることの楽しさ

 

私は自らの意思で生き物を育てたことがほとんどない。

小学生の頃に先生から貰ったラディッシュの種をプランターに植えた記憶しかない。

 

勿論、授業の一環でアサガオやプチトマトの栽培をしたことはある。

生き物係の当番としてハムスター等の世話をしたこともある。

 

家では、黒い金魚のような魚を飼っていたが、それを欲したのは姉だったらしいし、私が覚えている限りでは世話をしていたのは母だった。

「姉だった《らしい》」と言うのは、その魚は私の生まれる1年ほど前からいた《らしい》からだ。

 

 

兎にも角にも、私のこれまでの人生は「育てる」という行為にほぼ無縁だったということは間違いない。そしてこれからも。

 

生きとし生けるものには全て終わりがあるわけで、愛情を注いで育てた何かが私より先に終わりを迎えたら、私は悲しくて耐えられない。

かといって、例えば何らかの事故に私が巻き込まれたりして、愛情を注いで育てている何かを遺して死ぬなんてことは、前述したことよりも悲しい、というか、悔しくて死に切れないと思う。

 

どっちにしろつらい思いをする、それが目に見えているのに、何かを育てたり飼ったりしようとは思えないのだ。

そのつらさに耐性をつけるために人は何かを育てるのかもしれない。と、考えると、私が何かを育てるなんてとんでもないという思想を抱いている理由が冒頭で書いたことから理解できるでしょう。

 

 

そんな私が、最近あるものを育てている。

何かというと、「自分の髪の毛」である。

 

髪の毛を育てる、つまり「育毛」と言ってしまうと語弊がある。

髪を「育てる」ではなく、髪を「伸ばす」といえば正しく伝わるだろう。

 

私の髪型の変遷と言ったら、幼稚園の頃は耳元で二つ縛りにして肩にかかる程度の長さだったはずだが、それ以降は髪の毛の鬱陶しさから、ショートヘアーあるいはボブヘアーを貫いてきた。

しかし、シャンプーやドライヤーにかかる時間などの手間はかかるものの、髪が長い方が結いやすく邪魔にならないのではと思い始め、実験的に伸ばしている。

 

そして近頃、癖があってハネる私の髪でも、下ろして肩にかかるくらい伸びていることに気づき、喜んでいる自分がいる。

 

邪魔だと感じたらすぐに切ってしまう私がここまで髪を伸ばせたこと。

髪を伸ばしたことで髪型のバリエーションが増えたこと。

それによってまた少し違う自分になれること。

…大げさな言い方にはなるが、どれもが感動に値する。

そして、この感動を味わうことが、何かを育てることの楽しさなのではないかと思う。

 

髪の毛を育てる、もとい、髪の毛を伸ばすことは、私が別れの悲しみにうちひしがれることなく、育てる楽しみを体感することのできる唯一の方法なのではないか。

だから、今まではヘアケアなどを怠ってきたが、これからはもう少し手塩にかけて育てていこうと思う。

 

 

ちなみに、育てると言ったらペットや植物じゃなくて、子供は?と思うかもしれない。

子供なら、いつか独り立ちする。別れの悲しみはあれど、先立つ悔しさは(しっかりと独り立ちした子供がいるならば)ないのではと。

 

ただ、「植物」よりも、何をしでかすか分からない「動物」よりも、何を考えているのか分からない「人間」を育てたいだなんて、私は微塵も思わない。

更にいうと、「自分の要素を半分備えた、自分ではない何か」に興味はない。いやむしろ気持ちが悪くて仕方ない。