Stop the bleeding.

日々の諸々を赤裸々に時々長々と綴る。

コスプレについて思うこと

 

私はコスプレが嫌いだ。

コスプレまがいの2.5次元や実写化等も嫌いだ。

 

どんなにクオリティが高くて、どんなにそのキャラクターに寄せていても、やはりそれを身にまとっている人物の雰囲気というか、らしさというか、現実みたいな何かが漂ってくる感じが受け付けない。

かといって、コスプレをする人や、それを見るのが好きな人を否定するつもりは全くない。見ないようにするから、君らで好きにやってくれというスタンスだ。

 

しかしながら、Twitterで好きなキャラクターを画像検索したら、100%コスプレ画像に遭遇してしまう。それが本当につらい。

こちらとしても、Twitterの画像表示にワンクッション挟む設定をする等、なるべく対策はしている。

まぁ、これはコスプレに限らず、虫の画像とかホラー系の画像に出くわしたくないから、コスプレ画像にイライラする前から設定していたけど。

 

それでも、まれに被弾する。

コスプレ画像をTwitterに上げるとか、自己顕示欲を満たす行為の極みだと私は考える。

そして、そういう人は画像とともに上げるツイートも凝りがち、あるいは、逆にシンプルを極めて日付とキャラ名と画像だけ上げがちなのだ。

そして、流れ作業の如く好きなキャラクターの画像を漁る私はつい被弾する。

 

コスプレ画像を上げる際は、もっとしっかり分かりやすく注意書きしていただきたい。

とはいえ、コスプレをする人はたくさんの人に見られたいと思っているのだから仕方ないかと諦めつつ、私はとうとう最終手段を選ぶことにした。

 

コスプレイヤーをひたすらブロック、ブロック、ブロックする。

多様性を認め、嫌いなものを嫌いと言い難い昨今、こうするしかないのだ。

 

ただ、コスプレ人口はなかなか多いみたいで、ブロックしまくったところで、またどこからともなく湧いてくる。

そしてそれをまたブロックする作業をしていると、何ともやりきれない気持ちになる。

コスプレイヤー一括ブロック機能とかできないかな。できないよね。

 

見ずに消すという選択肢

 

スタミュ(第2期)の最終回が昨晩放送された。

最終回と言いつつ、来週もMV集の放送があるらしいが。

 

録画はしてあるが、怖くてまだ見ていない。

とある筋から、最終回が(最終回も?)惨憺たるものであったと小耳に挟んでしまったのだ。

後半の流れからして、完全に納得のいく最終回を迎えることはありえないと分かっているし、最終回の大体の流れはとある筋から聞いているので、あまりの酷さに衝撃を受けたりはしないと思う。

ただ、見てしまったら、静かにその作品のことを嫌いになってしまいそうで、それが怖いのだ。

 

スタミュの登場人物は皆魅力的で、推し度合いに多少の差はあれど、嫌いなキャラクターは一人もいない。そんな彼らが活躍するストーリーや世界もまた素晴らしい。いや、素晴らしかった。

しかし、2期後半の展開を目の当たりにして、「キャラクターは悪くない、彼らをこの展開に導いた脚本等が悪い」と自分に言い聞かせても、キャラクターそのものについ不満を募らせてしまう自分がいた。

最終回を視聴したら、きっとそれが爆発する。だからまだ見ていないし、おそらくそのまま消してしまうだろう。

ただの臆病者だってことは分かっている。でも、嫌な思い・悲しい思いをすると分かってて視聴するなんてバカみたいじゃないか。

 

勿論、ダメって分かってて視聴して案の定な結果に愚痴をこぼすスタミュの女たちがバカというわけではない。彼女らにこそ、この残念な2期に対してあれこれ言う権利があるのだから。

全てを見届けていない以上、私に愚痴や批判を言う資格はない。だからもうこれっきり何も言わない。

私は1期と、2期の良かったところ(一部の曲やエピソード)だけを胸に、彼らを愛でていく。その方がきっと私にとって幸せだと思うから。

 

最後に一言。いや、もしかしたらこの先口癖のように言うかもしれないが。

スタミュは1期まで。

 

例のブツ

 

自分の誕生日プレゼントとして購入した例のブツが今日届いた。

現在ニのつくお仕事真っ只中な私が、自分にプレゼントなんて買っている場合ではないが、そこには目を瞑っていただきたい。

 

その例のブツとは、ロッキングチェアだ。

ロッキングチェアは私にとって三大憧れの椅子のうちの一つ。それをとうとう手に入れてしまった。

ちなみに残りの二つは、マッサージチェアと柊沢エリオルくんがよく座っているソファーで、金銭的あるいは次元的に手に入れるのは困難な代物だ。

とはいえ、私のイメージする憧れのロッキングチェアというものは、おばあさんが腰掛けて編み物でもしていそうな、座面が若干低めの木製のもので、今回購入したものはそれから程遠いイームズチェアのリプロダクト製品だ。

部屋の雰囲気に合わせた結果それにしたけれど、これが案外座り心地が良い。脚部に一抹の不安を覚える出来事があったが、それにしても良い買い物をしたと思う。

長生きする予定はないが、趣のあるロッキングチェアでゆらゆらするのは老後の楽しみにしよう。

 

さて、明日はニのつくお仕事からの脱却を図りに参る。

行ってみないと分からない部分は多いが、今回のはなんとなく良さげ。

この間のところは本当に落ちてよかった。文書で通達と言ってメールで連絡してきたり、メールで伝えると言って手紙を寄越してきたり。サポート云々な御社のくせに、そんないい加減なところはこちらから願い下げだから。

 

誕生花とは

 

まさかGoogleさんから祝ってもらえるとは思わなかった。

こんなことは皆さんご周知のことなんだろうけど、私にとっては予想外のことで、けっこう嬉しかったりする。

そんなGoogleさんをポチッとしたら6月18日を検索してくれたので、あらあらと思いつつWikipediaとか見ちゃったり。

 

それによると、6月18日の誕生花はスイセンノウとサギソウらしい。

誕生花を育ててみるとか良いかもなんて、心にもないこと思いながらいろいろ調べてみると、他のサイトではそれらは違う日の誕生花だという。そして、そこではまた違う花が6月18日の誕生花だと紹介されている。

もう、自分の好きな花を誕生花だと主張しても良いんじゃないかってくらい、誕生花とは適当なものなんだと学んだ。

 

 

 昨日のブログの通り、今日は一人で近所のケーキ屋さんのバイキングに行ってきた。

チョコレートが好きなので、食べられるだけのチョコ系のケーキと、チーズケーキなどの酸味の効いたケーキなどをいくつか食べて、案の定もうしばらくは甘いものを受け付けない体になった。

ケーキに限らず、スイーツのバイキングにはペロッと舐めても良い塩などを各テーブルに用意していただきたい。

ピザやスパゲティなどの軽食とスイーツのバイキングもよくあるけれど、それは結局軽食でお腹が満たされスイーツを数多く楽しめないので、ただの塩で十分。スイーツバイキングの主催者はぜひご検討を。

 

さて、お目当てのチョコ系のケーキはどれも美味しかったが、チョコレートにしてもやはり生クリームというものはケーキバイキングにおいてかなりヘビーなものだと改めて感じた。チョコ生クリームのあのケーキさえ食べなければ、今も胃がもたれているなんてことにはならなかっただろう。

あれは甘さの暴力だ。今後またケーキバイキングに参加した時に、選んで後悔しないよう、ここにはっきりと書き記しておこう。チョコにせよ何にせよ、生クリームのケーキを選ぶな。どうしても食べたいのならば、一番最初に一つだけだ。

 

チョコ以外のケーキも美味であった。特に、夏限定のレモンとライムのムースケーキは思いの外酸っぱくて、とても爽やかで、2つも食べてしまうほど絶品だった。今日は少し暑かったから、余計に美味しく感じられたのかもしれない。

あと、甜菜糖のプリンも、よく食べるプリンとはまた一味違う甘さで、(後半に食べなければ)すごく美味しかった。

 

自分で予約しておいて、一人でケーキバイキングか…なんて思っていたけれど、日曜なのにそこまで混んでいなかったし、こじんまりとしたお店だったのでそこまで居心地は悪くなく、美味しいケーキを堪能できた。

有効期限1年のケーキバイキングのポイントカードを発行され、1年に5回もケーキバイキング行くかよって思ったけど、もしかしたらもしかするかもしれない。

とはいえ、しばらくは行かないし、行くとしても他のお店行ってみたいよっていう。

 

 

明日はワクワクな荷物がいくつか届いたり、ドキドキな連絡が来るかもしれなかったり、誕生日前日の昨日よりもソワソワしている。

それより何より、今夜は「月がきれい」の第10話がBSで放送される。これが一番ドキムネだ。視聴するのは明日の朝になるだろうけど、気になってしょうがない。

夜更かししてしまおうか悩みつつ、胃はNOと言っているが舌が塩分を求めているので素麺でも食べようかと悩みつつ、二十ほにゃらら回目の誕生日はもうすぐ終わろうとしている。

 

誕生日前夜

 

二十ほにゃらら歳を目前に、新たにブログを始めることにした。

Twitter大好き人間だから、それだけで十分だと思っていたけれど、しょうもない日常をだらだらと記すのも悪くはないかなと思い立ったのがきっかけだ。

 

 

誕生日前夜ということで、去年の誕生日の最悪な思い出をここで昇華しようと思う。

去年までの4年間は、毎年同じアパートの友人同士で誕生日を祝い合った。

祝われる人にちなんだ料理やデコレーションケーキを振舞ったり、プレゼントを用意したり。

友達の少ない私としてはすごく嬉しかったのだが、去年だけは違った。

 

ケーキのデコレーションが、私が所属していたゼミの先生の顔だったのだ。

出された時は「は?」と思いつつ、笑ってみせたものの、今でも腹が立つし、理解に苦しむ。

 

その先生のことがあまり好きではなかったというのもあるが、それよりも、「私といえば」と考えを膨らませても、その先生にしか行き着かなかったというのがとてつもなく悲しかった。

その程度の仲だったんだなと、4年目にして気づかされた。

ウケ狙いで作られたものだったとしても、彼女らのツボを理解できない程度の仲だったと言える。

 

本当は、彼女らの誕生日にそれぞれのゼミの先生(おじさん)のケーキを作って、同じ気持ち味わわせてやろうかと思ったけど、彼女らと同じ程度の人間にはなるまいと、SNS映えするようなきゃわわなケーキにしてやった。

彼女らには、私のちっぽけな良心とプライドに感謝していただきたい。

 

そして、ここまで綴ってあることに気がついた。

私はかくの如く心が狭く、性格の悪い人間だから、「私といえば」と想像してもおじさんケーキしか作れなかった。あるいは、想像するのも嫌だったのではないかと。

 

 

そんな性悪人間は明日、一人でケーキバイキングに馳せ参ずる。残当