Stop the bleeding.

日々の諸々を赤裸々に時々長々と綴る。

久々の

 

かなり久々にブログを更新する。

 

だいたいこのブログを更新するときというのは、

しなければならないこと(掃除)から逃げ出したいときだ。

 

 

タイトルの「久々の」は、このブログ更新のことではない。

大学の友人から久々に連絡が来たことを表している。

 

その人は今日、もう1人の友人と会っているみたいだから、

おそらく私の話題になって、今何してるんだ?ってなったと予想する。

 

ちょっと気になったから聞いただけ、って感じなのだろうけど、

唐突に「就職したの?」と聞かれるのはあまり良い気はしない。

 

最終的に、今住んでるところに当分いるのかと聞かれ、

多分そうだと答えたら「おけーい!」って。

 

一体何がOKなのか、さっぱり分からない。

私は彼女(ら)のそういうところがあまり好きではない。

 

 

 

こんな愚痴で久々のブログ更新を終えるのは癪。

2か月働いてどんな感じかでも書き記しておこう。

 

結局それも愚痴的なものになるかもしれないけれど。

 

私は大学卒業後半年ニートだった世間知らずのゆとり世代なので、

職場の方々には、それはそれはとっても優しくして頂いている。

 

こういう言い方をすると何か嫌味っぽいけど、本当にそうなのだ。

本当に私が無知だから、丁寧に教えるしかないんだろうけど。

 

しかしながら、今はさほど忙しくない時期らしいので、

実際職場の方々がどういう人なのかはまだ分からない。

 

切羽詰まってるときにこそ、その人の本性が見える。

残業のこともあり、繁忙期が今から恐ろしい。

 

そして、来月にはバイトの方々から嫌われてる人が戻ってくる。

その人は私の採用担当の人で、そこまで悪い印象はなかった。

しかし、その人不在の食事の際に、ひどい話を散々聞かされた。

 

確かに、ところどころ「ん?」と思うところはあった。

が、私が気にしいなだけかなと思っていた。いや、いる。

 

なんとなく職場の空気に慣れてきた今、その人が戻ってきて、

空気がどれだけ冷えるのかと思うと、ゾッとする。

 

 

愚痴ではないものの、怯えに満ち溢れたブログとなってしまった。

そんなに気にするほどのことじゃない…と信じたい。

 

勿論、悪いことだらけではない。

と言うか、上述のこと以外は特に心配事はない。

 

いや、この、特になんの心配事もなく、ずるずると

長く勤めてしまいそうなことが一番の心配事かもしれない。

 

満月の夜なのに

 

今日はとんでもない厄日だった。

 

きちんと登録したはずのものがされていないという連絡が複数来たり。

鍛刀という名の所謂ガチャで資材をほとんど溶かしたり。

頼みの綱のとある店舗で目当てのものがなかったり。

部屋が全く片付かなかったり。変な夢を見たり。

 

二つ目以降は私の運や怠慢、普段の行いのせいだから仕方ない。

でも、一つ目は「?????」って感じ。

 

私が眠っている間に誰かが勝手に変更したんじゃないかってくらい不思議な事態だ。

なんなら、連絡を受けたうちの一つは、登録も完了してそのサイトにログインできたし、今もログインできる状態だ。

 

こういう謎な事態が、お金が絡む関係のことで起こる度に、生きる行為そのものが面倒でたまらなくなる。

そんなときは、上の階からの物音がいつも以上にうるさく感じて、苛々に拍車がかかる。

 

 

ああもう、部屋に散らかっているもの全てゴミ袋に詰めて、捨てたい。

そして、煩わしいものがない、行ったことのない綺麗な海にでも瞬間移動したい。

 

しかし、そんなことができるはずもなく。

したいしたいって言うくせに、できない(しない)自分に、さらに苛立つ。

 

明日はまず、ログイン出来てるのに登録すらされていないらしいアレに連絡しなきゃ。

帰省前に面倒なことが増えて、もう本当に腹立たしい。

 

こんな些細なことで怒りに身を任せ、やるべきこと(掃除)もせずにブログを更新している自分が一番嫌。

今は何もかもが苛立ちの原因になり得るので、「イーッ!」ってなる。なってる。

 

微睡むお月さんの顔めがけ

 

例の活動が終わった。

しかし、大変なのはこれからで。

 

とにかく働きたくなくて、だらだらと毎日を消費していた私。

両頬をぺちんと叩いて、気合を入れていかなければ。

 

出社はいつからでも(ただしお盆の週はNO)と言われ、帰省やら心の準備整えたりやらしたかったので、お盆の次の週を選んだ。

来週からでも…と言われても、余裕を持ってその週を選んだが、やる気ない人だと思われた可能性は高い。が、仕方ない。

 

最初は誰も上手くいかないって分かっていても、不安しかない。

まぁ、もう決まった以上、やるだけやるしかない。

 

 

どこかで打ち上げ花火をしている音がした。

上述のとおり、近々帰省をする予定だが、そういえば地元の花火大会は…と思って調べたら、(薄々そうだろうと思っていたが)明日行われるみたいだ。

 

海での打ち上げ花火が好きだから見たかったけど、残念ながら無理だ。

帰省する前に、堕落した生活がもたらした諸々を片付けねば。

 

それにしても、帰省しても会いたい人が家族しかいないってのは寂しいものだ。

最後の砦であったとある友人も今は違う街で暮らしているし。

 

遊んでくれる人はおそらくいないが、これからの約2週間は私にとって最後の夏休みなわけで。

思いっきり怠けてやろうと思っている。

 

 

ああでも、打ち上げ花火見たかったな。

人混みは嫌いだから、誰もいないような海で。

でも、1人で見ても面白くないから、気心知れた誰かと。

 

アイモカワラズ

 

半月以上更新をサボってしまった。

やはり日記の類はなかなか続かない。

 

相変わらず、書く時間はたんまりあっても、書くことがない。

上半期の個人的な流行語を挙げるなら「相変わらず」だってくらい、堕落した日々を送っている。

 

とはいえ、秋からもこの状態は本当に深刻な事態になってしまう。

そのため、例の活動(って言うほど活動していない)は、踏み込むのを躊躇っていた方に向かいつつある。

自分のことだけど、どうなることやら。

 

 

例の活動は停滞気味であったが、そのぶん、前にも話題にしたゲームなどをダラダラと続けている。

今はそのゲーム(名刀の方)のメンテが終わるのと、もはや今日来るのか分からない折り返しの連絡を待っている次第だ。

 

今日のメンテが開けたら、かなりドッキドキなことが待っている。

正確に言うと、4日後にドッキドキするんだけれども。

 

しかしながら、そのドッキドキなアレよりも、最近の惨状が目に余るわけで。

自分のコンプ欲を恨むべきか、いや、稀ドロはないわ。

 

他にもいろいろと思うところはあるが、もう今更って気持ち。

 

 

一方、文豪のゲームは、まったりと楽しんでいる。

まぁ、まだ始めて1か月ほどだから、それなりに楽しめる時期なんだと思う。

 

それを抜きにしても、衣装やら内装やら楽しめる要素が多い。

ゲーム自体もまだまだこれからだろうし、名刀ほどのめり込まずに、細々と楽しめたらなと思う。

 

 

さて、明日明後日、もしかしたら今週末も、怠けてた分頑張らなくては。

頑張るって言うほどのことでもないか。身を委ねるって感じ。

 

足掻いても無駄、というか、足掻きようがない。

取り繕ったところで簡単にボロが出るわけで。

 

落ちるだろうな〜って思いながらでないと、心が砕けそうだ。

そういうところが見透かされているから、これまで散々な結果になっているのかもしれないが。

 

いやでも、これまではメールで伝えると言っておきながらご丁寧にお手紙を寄越してきた御社しかないから、そんなところは願い下げだ。

不採用通知は手紙で送るのが一般的だったとしてもだ。そうだとしても、メールか文書でって言えばいいだけのことだ。

明後日の御社はそんなところではないことを願う。

 

冷やし梅茶漬け

 

最近とても暑い。

夏の涼しさを求めてこの地を選んだが、どうやら近年はそうでもないみたいだ。

幸いなことに、私が暮らす部屋は、外がすごく暑くてもなぜか涼しい冷房不要な部屋なので、(部屋にいるぶんには)快適な夏を過ごしている。

 

とはいえ、夏は夏なので、前よりは若干食欲がない。

そんな時にぴったりの食事を発見した。タイトルの通りである。

 

 

お茶漬けだから、作ると言うほどの工程もないくらい簡単に出来上がる。

さらに言うと冷やしだから、お湯を沸かす手間もない。

冷めたご飯に梅茶漬けの素をかけて、冷水を注ぎ、お気に入りの梅干しを乗っけるだけで完成する。

 

梅茶漬けの素に梅干しを加えるのは、健康上あまりよろしくない気もするが、酸っぱすぎるくらいが美味しいから仕方がない。

酸味が食欲を刺激して、さらさらと入り、お腹を満たしてくれる。

私の中で、夏の定番料理となりつつある。

 

 

米と梅干しの組み合わせが苦手だった私が、今こうして冷やし梅茶漬けを絶賛しているのが不思議というか、自分の成長を感じる。

なんなら、昔は梅干しすら苦手だったのだから。

 

ただ、温かいご飯に梅干しってのはまだ好きとは言えない。

梅干しのおにぎりも、冷めてるものなら食べられるけどって感じ。

 

それでも、いつかは好きになって、ご飯のお供として定番になるかもしれない。

このブログを見て、こんなこと言ってたなーなんて懐かしむ日が来るかもしれない。

 

私は長生きするつもりはなく、好きなものを好きなように食べて、後悔なく早死にすることを理想としている。

でも、こういう未来を想像するときは、もうちょっと生きようと思ってしまう。

 

育てることの楽しさ

 

私は自らの意思で生き物を育てたことがほとんどない。

小学生の頃に先生から貰ったラディッシュの種をプランターに植えた記憶しかない。

 

勿論、授業の一環でアサガオやプチトマトの栽培をしたことはある。

生き物係の当番としてハムスター等の世話をしたこともある。

 

家では、黒い金魚のような魚を飼っていたが、それを欲したのは姉だったらしいし、私が覚えている限りでは世話をしていたのは母だった。

「姉だった《らしい》」と言うのは、その魚は私の生まれる1年ほど前からいた《らしい》からだ。

 

 

兎にも角にも、私のこれまでの人生は「育てる」という行為にほぼ無縁だったということは間違いない。そしてこれからも。

 

生きとし生けるものには全て終わりがあるわけで、愛情を注いで育てた何かが私より先に終わりを迎えたら、私は悲しくて耐えられない。

かといって、例えば何らかの事故に私が巻き込まれたりして、愛情を注いで育てている何かを遺して死ぬなんてことは、前述したことよりも悲しい、というか、悔しくて死に切れないと思う。

 

どっちにしろつらい思いをする、それが目に見えているのに、何かを育てたり飼ったりしようとは思えないのだ。

そのつらさに耐性をつけるために人は何かを育てるのかもしれない。と、考えると、私が何かを育てるなんてとんでもないという思想を抱いている理由が冒頭で書いたことから理解できるでしょう。

 

 

そんな私が、最近あるものを育てている。

何かというと、「自分の髪の毛」である。

 

髪の毛を育てる、つまり「育毛」と言ってしまうと語弊がある。

髪を「育てる」ではなく、髪を「伸ばす」といえば正しく伝わるだろう。

 

私の髪型の変遷と言ったら、幼稚園の頃は耳元で二つ縛りにして肩にかかる程度の長さだったはずだが、それ以降は髪の毛の鬱陶しさから、ショートヘアーあるいはボブヘアーを貫いてきた。

しかし、シャンプーやドライヤーにかかる時間などの手間はかかるものの、髪が長い方が結いやすく邪魔にならないのではと思い始め、実験的に伸ばしている。

 

そして近頃、癖があってハネる私の髪でも、下ろして肩にかかるくらい伸びていることに気づき、喜んでいる自分がいる。

 

邪魔だと感じたらすぐに切ってしまう私がここまで髪を伸ばせたこと。

髪を伸ばしたことで髪型のバリエーションが増えたこと。

それによってまた少し違う自分になれること。

…大げさな言い方にはなるが、どれもが感動に値する。

そして、この感動を味わうことが、何かを育てることの楽しさなのではないかと思う。

 

髪の毛を育てる、もとい、髪の毛を伸ばすことは、私が別れの悲しみにうちひしがれることなく、育てる楽しみを体感することのできる唯一の方法なのではないか。

だから、今まではヘアケアなどを怠ってきたが、これからはもう少し手塩にかけて育てていこうと思う。

 

 

ちなみに、育てると言ったらペットや植物じゃなくて、子供は?と思うかもしれない。

子供なら、いつか独り立ちする。別れの悲しみはあれど、先立つ悔しさは(しっかりと独り立ちした子供がいるならば)ないのではと。

 

ただ、「植物」よりも、何をしでかすか分からない「動物」よりも、何を考えているのか分からない「人間」を育てたいだなんて、私は微塵も思わない。

更にいうと、「自分の要素を半分備えた、自分ではない何か」に興味はない。いやむしろ気持ちが悪くて仕方ない。

 

アルケミー

 

動画サイトに上がっていたので、もう一度「月がきれい」を視聴。

何度見ても良いが、やっぱり千夏のことは好きになれない。

 

さて、人生の楽しみの一つであった「月がきれい」が終わり、今の私の楽しみといえば「文豪が美男子に転生し、本の中に潜って敵と戦う系のブラウザゲーム」をプレイすることのみとなってしまった。

 

半年ほど前から「名刀が美男子の身を得て、歴史を遡り敵と戦う系のブラウザゲーム」をプレイしているのだが、進展があまりにも遅すぎてやるべきことはほぼやり尽くしてしまった。

それに代わる何かはないものかと思い、「文豪(中略)のゲーム」を始めた次第だ。

 

私は本の虫なわけでもなく、「月がきれい」でちょいちょい出てきた文学作品に影響されたわけでもなく、完全にただの気まぐれだ。

ただ、「名刀(中略)のゲーム」にがっつりハマったので、いかがわしい言い方にはなるが、美男子を収集し強くさせて戦わせるゲームにハマる自信があった。

 

案の定、それなりにハマりつつある。

なんなら、衣装やボイス、回想など、何かと「名刀のゲーム」よりも充実しているので、まだしばらくは飽きることはないと思う。

 

 

しかしながら、「名刀のゲーム」ほどがっつりハマることはない予感がする。

その理由を端的に言うと、実際の文豪の姿が脳裏にチラつくので、そこまでのめり込めないのだ。

 

「名刀のゲーム」の場合、キャラクターはモノの擬人であるため、持ち主や時代や逸話等の影響を受けた容姿・性格設定にされており、彼らの本質というものはない。

「〇〇が持っていたからこういう服装に」「〜〜な過去を持つからこういう性格になるだろう」というイメージを当てはめて作られたキャラクター達だ。

そのため、プレイヤー各々の想像も膨らみ、ゲームが楽しめるわけだ。

 

しかし、「文豪のゲーム」の場合は、それぞれの思想や意思を持って筆を執った、実際に存在した者をキャラクターとしている。

仕方のないことではあるが、それがプレイヤー(というか私)のぐんぐん広がる想像をストップさせている。

 

また、刀はそれ自体が大変美しいものであるが、人間となると話は変わってくる。

天は二物をなかなか与えないので、優れた作家で見目麗しい人はごく稀なケースであり、私たちがイメージする文豪というのは、国語の教科書に載っているような白黒写真のおじさんだ。

(文豪が戦うという時点で違和感を覚えるところもあるが)戦闘時にカッコいい男の子が、カッコいい声でカッコいい台詞を言って、カッコよく敵を倒したところで、私の脳内では空に映る故人が如く、そのおじさんの姿が浮かび上がってしまう。

 

そして考える。「ああ、このカッコいい男の子はあのおじさんの化身なんだな」とか、「ちょっとアレな思想の人なんだよな」とか。

このゲームを通して知った文豪に興味を抱いて検索したところで、おじさんの画像が出てくるし、とんでもない生い立ちを知ることとなってしまう。

勿論、近代を生き抜いた文豪達に問題があるわけでもなく、かといって、ゲームのキャラクターが悪いというわけでもなく、ただただ私がなんか複雑な気持ちになるというだけの話。

 

その複雑な気持ちを拭うことができないので、「名刀のゲーム」ゲームほどはハマれないと予想する。

「名刀のゲーム」が、もっと何かうまいことやってくれたらなと思うが、今のペースのままで盛り返すとは思えないし、ペースアップしたらしたで、もうサービス終了かな?ってなるから、これもまたうーんと唸ってしまう。

とりあえず、「名刀のゲーム」はしばらく休み、何とも言えぬ気持ちを抱えたまま「文豪のゲーム」をそれなりに楽しめたらなと思う。

 

最後に、「名刀のゲーム」を何度も「名湯のゲーム」と誤変換して、日本の名湯を擬人化したら面白いんじゃないかと思いついたが、ゲームではないものの、調べたら既にあって笑ってしまった。